もうすぐマラソン大会がありますね。
いやー、小学校の時の嫌な行事、ナンバー1といっても過言ではないマラソン大会。わたし自身、とっても苦手でした。だいたい、最下位争いはいつも同じメンバー。ミジメになるのは、走る前からわかりきっているのに、逃れられない地獄の時間。今、思い返しても、あの時の自分を抱きしめてあげたい。よく頑張ったね自分。。
そんな、わたしの場合、高校生になったときに、少し転機になったことがありました。高校で仲良くなった子がバレー部で体力のある子だったので、マラソンの時も、何気なくその子についていったら、標準なタイムがでました。しかも「けっこう早いじゃん」と言われて、びっくりした記憶があります。
マラソンが遅いのは、「自分は遅いんだ、苦手なんだ」の呪縛から抜け出せないのが大きいと思ってます。もちろん、運動の得意不得意はあるから、精神論で何とかなるほど、簡単な話ではないとは思うけど、なんだかんだ、自分自身の可能性を自分自身で制限していることって、とっても沢山ありますよね。
運動にしても勉強にしても仕事にしても、自分の能力はこんなもん。。と抜け出せない呪縛。専門的な言葉で「コンフォートゾーン」というそうなんですが、平たくいうと自分が決める自分の基準値みたいなもの。
マラソン大会で、10位になったとします。その時、いつも5位以内に入っている子であれば、5位以内がコンフォートゾーンなので、すごく悔しい気持ちになります。ただ、いつも30位付近の子であれば、30位付近がコンフォートゾーンなので、10位になったとき、とっても嬉しいです。
だれもが自分の基準(価値)を勝手に決めているのですが、自分の事をある程度、無理のない気持ちいい範囲を決めないと毎日がきつくなってしまいますからね。負けん気が強く、上昇志向の強い子は、どんどん高みを目指せばよいですが、そんなトップアスリートみたいな子は少ないですからね。
例のごとく、わが娘たちは、真剣に取り組んだことも無い「マラソン大会」に対して、練習や作戦を考えることも無く、頭ごなしに「わたしはマラソンが苦手な子」というハチマキを巻いてしまっています。目標を低く見積もることは、保険になりますからね。保身力だけ、以上に高くなってます。。
私が20代の頃、仕事で売り上げを上げるジャンルの仕事をしていたので、強烈な競争環境に身をおいていました。今ではアウトだと思いますが、目標達成するためなら、24時間365日働き続けてました。その時は、高い目標をみんなの前で発表し、自分に強烈なプレッシャーをかけ、目標達成が当たり前の暗示をかけながら、邁進する毎日でした。
悲惨、、、と思われる人も多いかと思いますが、私としては、いい経験をしたなと思ってます。その頃を思うと、ある程度の事は、耐えられます。恐らく、仕事のコンフォートゾーンでいうと、過酷な状態で毎日を送っていた分、今は自分のペースで仕事ができている環境に恵まれていると感じることができ、感謝する日々です。
なかなか今のご時世、自分で限界を突破して、勉強や部活、仕事に取り組む環境は少なくなってきました。何をするにも、他人に誘導されるのではなく、自身で決断していかなくてはいけない分、今の子はセルフプロデュースが大変ですよね。
「頑張る」と決めるのも自己管理の中で遂行していなかくてはいけないので、今の子が大きくなった時、どんな世の中になっているのでしょうか。
今、マラソンが苦手と、取り組みもしないで決めてしまったいる我が子は普通の感覚なんだと思いますが、これから何度も訪れる決断と挑戦のタイミングに、どのような選択をするのか、暖かく見守っていきたいと思います。